ロシア政治経済ジャーナル No.771

2011/10/8号

★ジョブズをささえた日本人メンターと●

 

=== RPE Journal==================================================

 
       ロシア政治経済ジャーナル No.771

                         2011/10/9

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★ジョブズをささえた日本人メンターと●


全世界のRPE読者の皆さま、こんにちは!

北野です。



(●スティーブ・ジョブズ「伝説のスピーチ」を映像で見たい???
詳細は【編集後記】で!    )



皆さんご存知のように、アップル社の創業者スティーブ・ジョブズ
さんが5日、亡くなりました。

今回は、私たちの生活を一変させた天才の生涯を見てみること
にしましょう。

なんと、彼には日本人メンターがいた。

そして、日本の●の実践者でもあったそうです。


▼アップル社創業まで


スティーブ・ジョブズさんは1955年、シリア人の政治学者アブド
ゥルファター・ジャンダリさんと、アメリカ人大学院生ジョアン・シ
ンプソンさんの間に生まれました。

生まれると、すぐ養子にだされてしまいます。(涙)

育ての親になったのは、ポール・ジョブズ、クラリス・ジョブズ夫
妻。

実の親も、育ての親も、まさかこの子が世界に革命を起こすと
は思わなかったでしょう。


IT革命を起こした人たちは皆早熟ですが、彼も例外ではありま
せんでした。

子供の頃からコンピューターオタク。

1968年、13歳のときに、ヒューレット・パッカード社の創業者ビ
ル・ヒューレットさんに電話しました。

スティーブは、ビル・ヒューレットのことを尊敬していたのです。

電話し、「●●の部品をくださいませんか?」というと、ビルは
それをくれたばかりか、


「夏休みにうちでアルバイトしないか?」


と提案してきました。

13歳の子供に。。。

なんとも大らかですね。


1971年、スティーブ・ジョブズ16歳。

彼はこの年、後にパートナーとなるスティーブ・ウォズニアックさ
んと知り合っています。

この時、ウォズニアックさん21歳。

カリフォルニア大学バークレー校の学生でした。

二人は意気投合し、「無料で長距離電話をかけられる装置」を開
発します。(もちろん違法)

ジョブズは、原価40ドルでこの装置をつくり、学生たちに100ドル
〜150ドルで売って大もうけしたとか。

なんちゅう高校生だ・・・。


1972年、ジョブズさんはオレゴン州リード大学に入学。

しかし、半年で中退しました。

理由はなんと、「自分の方が大学院の教授より優れている」から。

中退後、ジョブズはビデオゲーム会社「アタリ」に就職しました。


1976年、21歳。

ジョブズさんとウォズニアックさんはこの年、パソコン・「アップル1」
を開発します。

200台を生産し、売れたのは170台でした。

そのため希少価値が高く、今では数百万円の価値があるそうです。


ジョブズさん、ウォズニアックさんは、「起業」を真剣に考え始めま
した。

「アップル1」がつくられた76年、二人はインテル社員のマイク・マ
ークラさんを説得。

マークラさんは個人資産92000ドルを投資。

この資金を元に「アップル」社は設立されたのです。

共同設立者は、ジョブズ、ウォズニアック、マークラで、株はそれ
ぞれ3割づつを保有することにしました。


▼最初の革命 〜 マッキントッシュ


「アップル」社は、滑り出しから順調でした。

創業の翌年1977年、「アップル2」が発売されます。

これが大当たり。

1980年に10万台、1984年には200万台を突破。

アップル社は莫大な利益を得て、80年IPOを果たします。

1980年、25歳のジョブズさんの資産は、なんと2億ドルをこえま
した。


しかし、業界の競争は激化していきます。

1981年にはIBMが「IBM PC」を発売。

「アップル2」は劣勢になっていきました。


アップル社は「誰にでも使えるパソコン」を目指して、「マッキント
ッシュ」プロジェクトを開始。

ジョブズさんは、マッキントッシュをつくるにあたって「シンプルさ」
と「美しさ」にこだわりました。

そのため、なんどもなんども作り直しが行われます。

1984年1月、初代マッキントッシュ発売。

初代マックには、私たちがいまだにお世話になっている「マウス」
が使われています。

マウスの登場で、素人でも簡単にPCの操作ができるようになっ
たのです。




▼アップル追放時代


創業以来順調に成長してきたアップル。

しかし、1984年末、はじめて赤字を計上しました。

理由は、ジョブズさんの予測ミス。

マッキントッシュの過剰在庫を大量にかかえこむことになったの
です。

結果、アップル社は、社員の20%をリストラせざるをえなくなりま
した。

社内で孤立したジョブズさん。


1985年9月、辞表を提出し、自分が立ち上げたアップルを去りま
す。

この時、保有株は、1株残してすべて売却しました。

(理由はそれほど単純ではないのですが、複雑になるので、ここ
では省略します。)


アップルを去ったジョブズは、「NeXT」という新会社を設立。

この会社は、高等教育やビジネスむけのワークステーションを
開発・生産していました。

1988年にNeXTcube、1990年にNeXTstationを発売しています。

技術は高い評価をうけていたものの、5万台ほどしか売れなかった
そうです。

(しかし、NeXTの技術が、後のアップル再生に役立っているとジョ
ブズさんは語っています。)



NeXTの経営は厳しいかったのですが、ジョブズさんは別の
分野で革命を起こします。

1986年、彼はルーカスフィルムのコンピューター部門(ピクサー)
を買収。

91年、ピクサーはディズニーにコンピューター・グラフィックスに
よるアニメ制作を提案します。

4年の歳月をかけて、世界初の全編CGアニメ「トイ・ストーリー」
がつくられました。

この映画は、興行収入3億6200万ドルの大ヒット。

「トイ・ストーリー」の大成功でピクサーは株式を上場。

ジョブズは、アップル社IPOにつづいて、多額の資産をゲットす
ることになりました。

ピクサーはその後どうなったのでしょうか?

06年、ディズニーに買収されました。

結果、ジョブズはディズニーの個人筆頭株主になるとともに、
同社の役員に迎えられます。


▼アップルへの帰還


ジョブズさんは、アップルを追放された後も、好きなことをして成
功していました。

では、彼が去った後のアップル社はどうだったのでしょうか?



ボロボロになっていたのです。

理由は、おわかりですね。

強力なライバルが登場していたからです。

そう、ビル・ゲイツさん。


「IT革命」というとき、通の人は「スティーブ・ジョブズ」を思いうか
べるでしょう。

しかし、一般人は真っ先に「ビル・ゲイツ」を思い出します。

一般人は、「マッキントッシュ」ではなく、「ウィンドウズ」の登場
により、パソコン、インターネット、メールなどを身近に感じるよう
になった。

そう、ビルゲイツさん率いる「マイクロソフト」の台頭により、アッ
プル社は危機に瀕していたのです。


1996年12月、アップル社はジョブズさんの会社「NeXT」を買収。

ジョブズさんは、ここから再びアップルの経営にかかわることに
なります。

1998年に発売した「iMac」はよく売れ、アップルに復活の兆しが
みえてきた。

2000年、ジョブズさんは、ついにアップルのCEOに就任しました。


▼ジョブズの革命と死


世界にIT革命を起こした一番の立役者はビル・ゲイツさんかも
しれません。

しかし、彼は「ウィンドウズ」以降、新しいものを生み出していな
い気もします。


一方のジョブズさん。

この方は、あくなき探究心と創造性を持って、革命を起こして
いきました。

たとえば2001年発売の「iPod」。

iPodは、かつてCDがレコード時代を終わらせたように、CD時
代を終焉に導きました。


たとえば07年発売の「iPhone」は、これまでのパソコンと携帯
電話の形を完全に変えてしまいました。



ジョブズさんの復帰で、順調に発展しているアップル。

しかし、本人は04年、すい臓ガンであることを知りました。

以後、闘病生活をつづけながら経営することになります。

2011年8月、病気を理由にCEOを辞任。


ジョブズさんがアップルのCEOになって11年。

マイクロソフトに圧され、ボロボロだったアップル。

ジョブズさんの復帰によりよみがえり、なんと時価総額世界一の企
業になっていました。

2011年10月5日、死去。

誰もが偉大な人物の死を悲しみました。

最大のライバルだったビル・ゲイツさんは・・・。



<マイクロソフト<MSFT>のビル・ゲイツ共同創設者は、「ジョブ
ズ氏と一緒に働くことができて非常に光栄だった。

スティーブのような多大な影響力を持った人は世界でもまれだ。
とても寂しくなる」と述べた。>

(ロイター 10月6日)



オバマさんは・・・。



< オバマ米大統領も声明を発表し、「スティーブは米国最高のイ
ノベーターの1人だった。

勇気があり、人と違う考えができた。

大胆な人物で、自分が世界を変えられると信じることができた。

そして、それを成し遂げる才能があった」と表明。

 「世界はビジョンのある1人の人物を失った。

世界中の多くの人がスティーブの発明した機器で彼の死を知
ったという事実ほど、スティーブの成功を如実に物語るものは
ないのではないか」と述べた。>(同上)



▼ジョブズを支えた日本人メンターと●


いったいジョブズさん成功の秘訣はなんだったのでしょうか?

彼の人生を振り返ってきましたが、子供のころから普通ではなかっ
たことがわかります。


「才能」だったのでしょう。


しかし、私たちの参考になる言葉もあります。

たとえば、この言葉。



<「教条主義の罠にはまってはならない。

それは、他人が考えた結果に従って生きることだ。

他人の意見という雑音で、自分の内なる声がかき消されないように
しよう。

最も重要なことは、自分の心と直観に従う勇気を持つことだ。

心と直観は、どういうわけか、あなたが本当になりたい姿をすでに
知っている。

それ以外は全部二の次なのだ」>



日本人は長い間、「一流大学→ 大企業・エリート官僚→ できる
かぎり出世」という、

「他人が決めたレール」に沿って生きてきました。

しかし、今は「リストラ全盛時代」ですから、「自分の心、直観」に
従い「自分の道」を生きてもいいかもしれません。

少なくともジョブズさんはそれで大成功しています。


こんな言葉はどうでしょうか?



<「自分が近く死ぬだろうという意識が、人生における大きな選択
を促す最も重要な要因となっている。

外部のあらゆる見方、あらゆるプライド、あらゆる恐怖や困惑もし
くは失敗など、ほとんどすべてのことが死の前では消え失せ、真に
大切なものだけが残ることになる。

やがて死ぬと考えることが、自分が何かを失うという考えにとらわ
れるのを避ける最善の方法だ。

自分の心に従わない理由はない」。>



私たちは普段、いろいろなもの、(その多くはくだらないもの)にと
らわれて生きています。

世間体、プライド、見栄、虚栄心、競争心、我欲等々。

しかし、「もうすぐ俺って死ぬよな〜」と心から思えたとき、不必要
なものはすべて消え去り、

本当に大切なものだけが残る。


私の本当に大切なものはなんだろう?

あなたの本当に大切なものはなんですか?


上の言葉は、05年のもの。

「あ〜、ガンだから『死』について考えることになったのね〜」

と思えます。

しかし、どうも違うみたいです。

ジョブズさんは、ガンを宣告されるずっと前から、こう考える哲学的
背景があったのですね。

彼は 「禅」 の実践者だったのです。

そして、彼のメンターは日本人僧侶でした。



<ジョブズ氏の革新に影響を与えた思想とは―― 

日本の禅僧と長年の交流
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
CNN.co.jp 10月7日(金)12時42分配信

(CNN) 5日に死去した米アップルの創業者スティーブ・ジョブズ
氏が手掛けた製品は、パーソナルコンピューターの「マッキント
ッシュ」から多機能携帯端末「iPad」に至るまで、ミニマリスト的
デザインとシンプルな操作性が特徴だった。

ジョブズ氏のこうした革新的なデザインには、

禅の影響がある
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

のではないかと指摘する声もある。>



禅・・・。

日本で実践している人は少ないですが、欧米ではとても有名です。

私も、ロシア人セレブから一番聞かれるのは、「武士道」「禅」につ
いて。


で、ジョブズさんのメンターって誰だったの?



<ジョブズ氏は若いころインドに旅して仏教に触れ、1970年代
にカリフォルニア州の禅センターに通って、日本出身の禅僧、
故・乙川弘文氏と交流を深めたといわれる。

乙川氏はジョブズ氏の結婚式を司り、86年にジョブズ氏がアッ
プルのCEOを解任されて設立した「ネクスト」の宗教指導者に
も任命されるなど、2人の交流は長年にわたって続いた。>

(同上)



ここからわかることがあります。

1、ジョブズ氏は、10代の若い頃から日本の禅僧をメンターとし
てきた

2、ジョブズ氏とメンターの関係は、深く、長かった



ちなみにジョブズさんのメンター乙川弘文氏とはどんな人な
のでしょうか?

ウィキペティアを見るとこうあります。


<1938年(昭和13年)、新潟県加茂市の曹洞宗の寺に生まれた。

駒沢大学を経て、1969年に京都大学で修士号(大乗仏教)を取
得した[1]。

福井県の永平寺で3年に及ぶ修行を積み、1967年(昭和42年)、
僧侶・鈴木俊隆の招きでアメリカ合衆国に渡った。

タサハラ禅マウンテンセンターにて、1970年まで補佐を務め、
1971年に鈴木が死去した後には、ロスアルトスの禅センターに
て、1978年まで活動した。

その後も各地にて活動していたが、2002年7月26日、スイスに
おいて、5歳の孫娘を助けようとして溺死した。>



乙川さんとジョブズさんの交流を詳しく知りたい方は、こちらを
ゲットしましょう。



<ジョブズ氏と乙川氏との交流は、フォーブズから近く出版される
劇画小説「The Zen of Steve Jobs(スティーブ・ジョブズの禅)」
に描かれている。>

(CNN.co.jp 10月7日)



それにしても、欧米の人々は「一番健康にいい」といって「和食」
を食べ、

「霊性の向上にもっとも役立つ」といって「禅」に励む。

しかし、日本国民は、「アメリカ、アメリカ」といって、「ゆとり教育」
や「自虐史観」を受け入れ

自国の宝を忘れているのは嘆かわしいことです。



ジョブズさんは語ります。



<「過去33年間、私は毎朝鏡の中の自分に向かって『もし今日が
自分の人生最後の日だったら、今日やろうとしていることをやりた
いと思うだろうか』と問い掛ける。

そして答えが「ノー」の日が続いたら、何かを変えなければいけな
いと思う。

自分はいつか死ぬと思い続けることは、私が知る限り、何かを失
うかもしれないという思考のわなに陥るのを防ぐ最善の方法だ」。>

(同上)



33年間、「今日が人生最後の日だったら?」と問いかけて、いきつ
づけたジョブズさん。

結果、世界にさまざまな革命をおこし、私たちの生活をいっぺんさ
せたのでした。

私たちは、ジョブズさんに感謝するとともに、彼が愛した「日本」の
代表として、「もう少しがんばってみよう」と思うのです。

ジョブズさんのご冥福をお祈り申し上げます。



今回はジョブズさんのお話でした。

アップルは発展しているのに、超大国アメリカはなんであんなに
ボロボロになったの?

知りたい方は、こちらをご一読ください。



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(おわり)


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