◆ 北野の声

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北野の声


以下、1990~2009年までの詳しい歩みについて。

ロシア国営放送「ロシアの声」 09年5月27日
~メルマガ「ロシア政治経済ジャーナル」配信10周年記念!国際関係アナリスト北野幸伯独占インタビュー~
と題する番組を放送をした。

この中で北野は、ソ連留学から約20年の歩みを語っている。

以下、インタビューの内容。(聞き手、いちのへ友里・菅聡史)

「ロシアの声」はこちら



いちのへ:ようこそいらっしゃいました!
北野さん(以下敬称略):どうも、こんにちは!

いちのへ:2009年4月25日、メルマガ「ロシア政治経済ジャーナル」10周年、本当におめでとうございます!
北野:どうも有難うございます。こちらこそ大変光栄です。

いちのへ:このメルマガというのは、インターネットで読者登録するだけで、執筆者から直接メールの形で、しかも無料で情報が配信されるというのものなんですが、この「メールマガジン(通称メルマガ)」という手段を使って、ここモスクワから10年間、世界情勢に関する情報を配信しつづけていらっしゃるのが北野幸伯さんです。そのメルマガは、「世界一わかりやすい!」「予測が当たる!」などなどカリスマ的な人気を誇り、現在なんと読者数は約1万9千500人!ロシア関係のメルマガでは配信数NO.1を独走中です。
「ロシアの声」リスナーの皆様のなかにも、「読者としていつも文章は拝見しているけれど、生の声を聞くのは初めて!」という方、多いのではないでしょうか?
今晩はメルマガ10周年記念!として、いろいろとお伺いしていきたいと思っています!

【19歳でソ連へ!?】

いちのへ:さっそくですが北野さん、まさかご出身はロシアじゃないですよね?
北野:いえ、違います。長野県松本市です。

いちのへ:ロシアへいらっしゃったのはいつなんですか?
北野:1990年、当時私は19歳でした。

いちのへ: 19歳でソ連!?きっかけは何だったんでしょうか?
北野:私たちの世代というのは、生まれたときからずっと、アメリカとソ連の冷戦による2極世界に慣れていたんですよね。それが1985年、ソ連にゴルバチョフ書記長が現れると、徐々に雰囲気が変わり良い方向に向かっていったんですよね。そして1989年にベルリンの壁が崩壊したんですが、これは当時18歳だった私にとってかなり衝撃的な出来事でした。「いったいこの変化の中心はどこにあるんだろう?」と思った時に、「アメリカやイギリスじゃないな、ソ連にゴルバチョフ氏が出現してから世界が変わり始めたんだ」と思ったわけです。ベルリンの壁というのは東欧なので、勿論その背後にはソ連がいたわけです。そこで私は「もし留学するのなら、アメリカやイギリスでなく、変化の渦が起こっているソ連、その首都モスクワに行ってみたい」と思ったんです。

いちのへ:1990年に19歳でソ連に飛び込み、翌年1991年には20歳でソ連崩壊を経験されたんですね?
北野:ええ、ソ連崩壊のその日のことはよく覚えています。1991年12月25日だったと思います。モスクワ国際関係大学の寮にいたんですが、向こうから日本人の女子学生が走ってきて、「ちょっと北野君、こっちに来て!!」と慌てていたんです。私は「何をそんな慌てているんだろうか」と思いつつ行ってみると、TVで当時のゴルバチョフ大統領が「ソ連は崩壊します。私は大統領を辞任します。明日からソ連はありません。」というような演説をしていたんです。なんとその演説だけで、次の日からソ連という国家がなくなってしまったんです・・・!
 しかし皆淡々と過ごしていました。暴動なども起こらず、授業もテストもあって(笑)。「国っていうのは、こんなに簡単に消滅してしまうものなのか!」と思いましたね。

いちのへ:では、ロシア誕生の瞬間というのはどうだったんでしょうか?
北野:エリツィン初代ロシア大統領が、TVでいろいろお話されていましたが、ほとんど何も感じませんでしたね。

いちのへ:“台風の目”じゃないですが、その中心は逆に静かなものなのでしょうか。
北野:そうですね、全く普段と変わらない生活がありました。


【詩人の家庭でホームステイ】


(ホームステイしていたレオノーヴィチ一家)

いちのへ:当時はどんな生活をされていたんですか?
北野:モスクワへ来た当初は大学寮に住んでいました。けれどもソ連崩壊後、その日は何もありませんでしたが、徐々に変化が見え始めました。ルーブルが大暴落し、ハイパーインフレが起こり、毎日毎日値段が上がり・・・。ところが寮にいてはその変化が見えない。「いったいどうしたら、この変化を、ロシア人の実際の生活を見ることを出来るだろうか」と考え、92年からはホームステイを始めました。

いちのへ:どんなご家庭にホームステイされていたんですか?
北野:ウラジーミル・レオノーヴィチ(写真中央)という詩人の家でした。ロシアではわりと有名です(笑)。プーシキンに憧れ、自分で“Живой классик(生きた古典)”だと話していましたが、周りからも確かに尊敬されていました。

いちのへ:奥様もとてもお綺麗なかたですね。
北野:この女性は、実はウラジーミル・レオノーヴィチが学校の先生をしていたときの生徒だったそうです。当時14歳だった彼女はゴンチャロワという苗字でした。・・・ここでピンと来た方いらっしゃいますか?そう、詩人プーシキンの奥様もナタリヤ・ニコラーエヴナ・ゴンチャロワというんです。プーシキンを敬愛するおじさん(ウラジーミル・レオノーヴィチ)は、すぐに「ああ、この娘はオレの嫁になるべくして出逢った女性だ」と熱烈にアプローチ。あっという間にお嫁さんにしてしまったそうです。・・・生徒だったのに(苦笑)。

いちのへ:そうして、素敵な愛の詩をたくさん作ったわけなんですね(笑)?
北野:まあ・・・そんなところでしょうか(笑)。


(卒業の日にモスクワ国際関係大学の前で)

【ロシア語ゼロから超エリート大学卒業まで】

いちのへ:大学は、ロシアで“卒業生の半分が外交官に、半分がKGBに”と言われていたロシア外務省付属モスクワ国際関係大学(MGIMO)を卒業されたそうですね?
北野:そうです。

いちのへ:今は日本人外交官なども研修していることで知られていますが、北野さんは日本人初の卒業生だったそうですね?
北野:そうです。

いちのへ:ソ連でも選りすぐりのエリートが集まるこの大学、入学は大変だったのではないでしょうか?
北野:これはもう、本当に大変でした。ソ連に来てからの1年目は、大学へ入学するための予科に入り、まず半年間はロシア語をみっちり勉強して、その後半年間で大学入試のための勉強をしました。とにかく何も準備せず、野次馬根性だけで来てしまったので、毎日夜中2時3時まで勉強するのが当たり前になっていました。ソ連崩壊前1990年だったので、予科で学ぶ学生たちは、社会主義国から来た学生ばかりだったんです。東欧、中国、ベトナム、ラオス、カンボジア・・・皆、当然ロシア語を勉強してから来るわけです。まあ、ソ連に留学するんですから当然ですよね(笑)。だから自分だけロシア語が喋れない。でも、日本人として馬鹿にされるのは嫌だなという思いもあって、仕方なく必至に勉強しました。二度と御免ですね。

いちのへ:当時はまだ自由に電話もかけられない時代でしたよね。辛い時は、お友達が支えになったんでしょうか?

北野:そうですね。ポーランド人のマチェク君、ユーゴスラヴィア人のエレーナさん。カンボジア人のラタノック君。アフガニスタン人のワシー君・・・ロシア人の友人も勿論いましたが、苦楽をともにした留学生同士の絆を深かったですね。当時は娯楽も少なかったうえに経済危機でしたから、みんなで集まって酒を飲みながら語り合ったりしたのはいい想い出です。


(卒業の日、同期の仲間たちと。北野は一列目で咳をしている男性の右斜め上)

いちのへ:大学の授業はいかがでしたか?
北野:国際関係学部で学んだのですが、人類歴史や宗教、哲学など幅広く勉強させられました。学部の中にも西洋学科と東洋学科があり、私は西洋学科で学んだのですが、日本では「アメリカは自由民主主義のいい国だよね」と勉強してきたけれど、当時のソ連では「悪の元凶である」というような全く正反対の価値観で書かれていることにやはり違和感は感じましたね。

いちのへ:ロシアの大学は5年制が多いですが、卒論もあるんですか?
北野:ありますよ。今日は特別にお見せしようと思い持ってきました。

いちのへ:え!本当に!?
北野(卒論を実際に見せながら)まだコンピューターもない時代でしたので・・・

いちのへ:でも、綺麗に製本されてますね。
北野:これは大学に製本バイトの人がいて印刷してくれるんです。手で書いてあるんですよ。なかを見てみますと、『アメリカの90年代の対日政策』というタイトルになっていますね。

いちのへ:なぜ、これを論文のテーマに選ばれたんですか?
北野:今もそうですが、やはりアメリカは世界の中心なので、「アメリカはこれからどうなっていくのだろうか」という問題には常に興味があります。

いちのへ:卒業式はどんな想いでしたか?
北野:もともと勉強が嫌いなので、なんでこんなに勉強させられたんだろうと思う部分もありましたが(苦笑)、でも自分で決めたことでしたし、親にも「絶対にやり遂げる!」と約束して来たので、なかなか逃げるわけにもいきませんでした。それでも正直何回か「辞めたい」と思ったこともありました。ですから卒業式の日は「ようやくこの日が来たか」という感じでした。

いちのへ:嬉しかったでしょうね?
北野:ええ。嬉しかったですね。



(カルムイキヤのイリュムジーノフ大統領と)

【カルムィキヤ共和国の大統領顧問に!?】

いちのへ:大学卒業後もロシアに残りたいと思いましたか?
北野:ええ。

いちのへ:では卒業後はどうなさったんですか?
北野:ロシアのカルムィキヤ自治共和国で、大統領顧問(アドバイザー)にしてもらいました。

いちのへ:え、大統領顧問ですか!?いったいどうやって就任されたんですか?
北野:大学卒業の1996年に大統領の面接を受けたんですが、「君はどんなことがしたいんだ?」と尋ねられて、3つプレゼンしました。
 1つ目は、日本から最新の農業技術を持ってきて、カルムイク共和国を農業大国にすること。どういうことかと言うと、砂漠化が大変深刻な問題となっているカルムィキヤ自治共和国の土地を有効利用するため、日本の農業技術を導入し、普及しようという提案です。
 2つ目は、観光資源としてチベット仏教を発展させ、日本の仏教界と結びつけることで仏教を大復興させること。カルムィキヤ自治共和国は、ヨーロッパでは珍しくチベット仏教の国なんです。まわりはほぼロシア正教とイスラム教なのですが、ここだけチベット仏教国なんです。チベット仏教は非常にお寺も美しいですし、外国人にとってエキゾチックな魅力がありますから、観光資源として、チベット仏教を発展させたらよいのではと思い提案しました。ロシア人のヒッピーなんかも、ここへ修行に来るんじゃないかなって(笑)。ただ、基本的にカルムィキヤ共和国の仏教は、ソ連時代にたくさん破壊されてしまったので、それならば日本の仏教界を結びつけることで大復興させられたらと思いました。 
 3つ目は、日本企業を山のように呼び込んで投資させること。これはまあ、月並みですが(苦笑)。このような3つのプレゼンをしたところ、大統領が感動して「ぜひともやってください」と。

いちのへ:即決だったんですね!
北野:ええ、その場で決まりました。

いちのへ:すごい!カルムィキヤ自治共和国の大統領は、当時から現在まで変わらず、イリュムジーノフ氏が務めておられますが、どのような人物でしたか?
北野:簡単に経歴をご紹介しますと、1962年にカルムィキヤ共和国の首都エリスタに生れ、私と同じモスクワ国際関係大学に進学し1989年に卒業。その後、ソ連崩壊のどさくさにまぎれ巨万の富を得て(笑)、当時「ロシアで5本の指に入る」と言われたお金持ちになります。それで、その資金力を持って1993年に、若干31歳の若さで大統領になってしまった、というすごい方です。実は、日本語も少し話されます。

いちのへ:え!?日本語をお話になるんですか?
北野:ええ、大学で日本語を勉強したそうです。ですから日本にも大変興味があるようでした。

いちのへ:ほかにも、イリュムジーノフ大統領と言えば、FIDE(国際チェス連盟)会長を務めていらっしゃることでも有名ですね?
北野:大統領は幼少時からチェスが好きだったようです。大統領顧問時代で一番思い出に残っているのは、1998年9月にカルムィキヤ自治共和国の首都エリスタで開催されたチェス五輪です。モスクワでなく、エリスタですよ…腕力で呼び込んだと言っていいですね(笑)。あんなに小さな国に、世界118カ国から、有名チェスプレーヤーたちが集結してきました。私も勿論その場にいましたが、「やっぱりこの大統領は偉大だな」と感動しましたね(笑)。

いちのへ:ロシアでもまだ英語が通じない場所が多いですが・・・
北野:もちろん空港すら英語が通じない状況でしたから、イリュムジーノフ大統領はカルムィキヤ共和国全土から英語堪能な人を召集して全員働かせていました。

いちのへ:北野さんはご一緒にチェスをされたりは?
北野:いえいえ。私は将棋です(笑)


【メルマガ配信スタート!】

いちのへ:さて、大統領顧問を経て、ついに1999年4月25日、メルマガ第一号を配信されますよね。今でこそブログなどで沢山の人が自由に情報を発信していますが、当時はまだかなり新しい試みだったのではないでしょうか?
北野:そうですね。おそらく日本在住の日本人は、ここ数年でブログやメルマガの存在を知ったという方が多いのではないかと思いますが、一方モスクワ在住の日本人は、メルマガというものが生まれた当初から、注目していたんです。

いちのへ:そうなんですか?
北野:というのも、当時は日本語の情報に飢えていて、もう日本語の情報なら何でも知りたいという状態だったんです。そんなときにインターネットが登場し、「日本の新聞も読める、日本のメルマガも読める、しかも無料で!」ということで、モスクワ在住日本人の間ではメルマガが大流行し、私も片端から登録しては読んでいました。そんなふうにして読んでいるうちに、「なんだか俺にも出来そうだぞ・・・」と思いはじめました。そこで、当時モスクワ大学で勉強していたコンピューターに強い友人I君(仮名)に電話で相談してみたら、「技術的には問題ないよ」ということだったので、「じゃ、始めようかな」と。

いちのへ:手応えはいかがでしたか?
北野:ロシア関係のメルマガは初めてだったので、告知してから第1号配信までに登録数が増え、約400部配信しました。その後どんどん登録者が増えていきましたが、3000人くらいで一度伸び悩みがあり、「これはロシア関係者というのは3000人くらいなんじゃないかな」と思っていました。その時にちょうど、911事件が発生したりアフガン戦争が始まったりしたので、ロシアだけでなく世界情勢についても書き始めたら、またどんどん伸びていきました。

いちのへ:現在の読者は1万9千500人ということで、実に10年間で約49倍の増加ですよね。確かに、ロシア関係の方にお会いすると「あ、あなたも北野さんのブログを読んでいらっしゃるんですか?」ということ、よくあります(笑)
さて、ここまではメルマガ創刊までのお話を中心にお伺いしてきましたが、インタビュー後半ではそのメルマガについて、さらに詳しくお伺いしていくことにしましょう!



いちのへ:さてここからは同じくメルマガ読者である菅アナウンサーと共に進行して参りたいと思います!
:宜しくお願いします!

いちのへ:菅アナは、北野さんとは“初めまして”じゃないそうですね?
:実は以前一度、映画の撮影現場でお会いしたことがあります。『イサエフ』というTV映画で、どうやら今年秋に一般公開されるようです(僕は昨年秋公開と聞いていたんですが・・・)。日本でも公開されたアンドレイ・ズヴャギンツェフ監督作の映画「父、帰る」に主演していたコンスタンチン・ラヴロネンコの最新作で、映画ファンとしてはラヴロネンコと競演できたことに感動してしまいました。

いちのへ:どんな映画なんですか?
:ロシアのスパイを描いた作品で、日本の特攻警察や軍人も出てくるんです。出演したのは、ロシア・日本両代表団が対面で並んで交渉するシーンでした。日本代表団で、僕と北野さんは本物の日本人でしたが、そのほかはバシキール共和国など、いわゆる“アジア系の顔をしたロシア人”が多かったですね。でも皆、戦前の軍人の衣装や髭などを付けて、それなりに見えました。

いちのへ:北野さんはどんな役だったんですか?
北野:私はですね、“日本から来た外交官”役で・・・悪人、でしたね(苦笑)。
:外交文書というかメモランダムのようなものをロシア側に手渡していましたよね。
北野:そうでしたね。いや、何回も撮り直しさせられました。

いちのへ:菅アナのほうは、どんな役だったんですか?
:僕は“武官”というか“軍人”役で、カイゼル髭みたいなものを付けました。普段、髭を生やしているんですが、それを剃られたうえで、さらにカイゼル髭を付けられました(苦笑)。

いちのへ:ロシアの声からは日向寺チーフアナも出演していて、セヴァストーポリでの撮影では台詞もあったそうなので、私も公開が今から待ち遠しいのですが(笑)。
さて、話をメルマガに戻しまして、菅アナはいつ頃から読者なんですか?
:2年前くらいです。今までで一番印象に残っているのは、ちょうど去年2008年2月17日に、コソボがセルビアから独立宣言をしたときに発行されたメルマガ第503号です。この号まではちょくちょく見ている、という感じだったんですが、このコソボ独立に関するメルマガでは、アルバニア系コソボの立場とセルビアの立場、中国やロシアの立場などを述べたうえで、民族自決や領土保全についての問題、さらにはイラクのクルド問題に至るまでかなり広範囲がカバーされていて、広い視点ながら誰が読んでも分かるように解説されていて凄いな、と思いました。

いちのへ:北野さん、いかがですか?
北野:いや、有難うございます。こんな熱心に読んでくださって(笑)。
:いえいえ(笑)。でも本当に分かりやすいと思います。ほかにも去年8月のカフカス紛争が発生した時のメルマガも印象に残っています。現在では『グルジアが南オセチアに攻め込んで、ロシアがそれに介入した』という事実が定着しつつありますが、当初は違いましたよね。これについても北野さんは、「今後メディアがいっせいに『ロシアがグルジアに攻め込んだ』という風に書き始めるだろう。その証拠としてこの号は保存しておいてください」という風に書いていらっしゃいました。この号はもちろん、きちんと保存してありますが(笑)、この後本当に北野さんがメルマガで予測していたことが起こりました。とにかく北野さんのメルマガは大局でモノを見ているというか、いろんな力の原理を冷静に判断したうえで書かれているので、とても参考になると思います。

いちのへ:日本ではロシアの情報を入手したくても、言葉の問題もあってなかなか直接得るのは難しいので、日本のメディアで報じられたものでしか分からないと思うんです。その点で、ロシア語のメディアやロシア人からの情報収集で得たものを、メールの形で一瞬にしてロシアから日本へ情報配信できるというのは、メルマガを配信する北野さんの強みではないかと思うのですが?
北野:そうですね。私はいつも“情報ピラミッド論”を展開しているのですが、これは世界にはいくつかの情報ピラミッドがあるというものです。アメリカ・イギリス情報ピラミッド、ロシア情報ピラミッド、中国情報ピラミッド、イスラム情報ピラミッド・・・というようにいろいろあります。でも日本には独自の情報ピラミッドがないんです。基本的にアメリカとイギリスから流れてきた情報を日本メディアが媒体となって流すことになっているんです。ロシア情報ピラミッド、私は“クレムリン・ピラミッド”って呼んでますが、このピラミッドとアメリカ・イギリス情報ピラミッドは、時に全く正反対なケースがあるんです。
 たとえば、リトビネンコ氏殺害事件では、日本やアメリカ、イギリスでは、「あれはロシアの諜報機関がやったのではないか」という見方が定着していますが、一方でロシアでは「あれはユダヤ系政商ベレゾフスキーがやったのではないか」あるいは「イギリスの諜報機関がやったのではないか」というような見方で、つまり全く正反対なんですよね。

:こういうとき、北野さんはメルマガで、たとえば読売新聞とか毎日新聞というような、日本人が普通に見ることが出来るメディアを引用したうえで書いていますが、これは何か意図があるんでしょうか?
北野:意図は、あります。人間というのは認知できない情報に関しては“トンデモ情報”だと判断してしまうものですからね。どういうことかというと、たとえば、グルジアやウクライナ、キルギスで革命が起こった際に「これはバックでアメリカがやったんですよ」なんて突然言ってしまうと、そんなのは“トンデモ情報”だと思われてしまう。でも実際は、朝日新聞や共同通信といったメディアからのインタビューに対し、グルジアのシュワルナゼ前大統領やキルギスのアカーエフ前大統領は「これはアメリカの人権団体がやったのだ」と明言しているんです。それを掲載することによって、何も知らなかった日本人でも「ああ、本当なんだ」と信じられ、理解出来るというわけです。

:信頼している人が信頼している人は信頼できる、ということですね。まずは信頼が積み重なっているラインに乗って論理を展開されているんですね。
北野:そうですね。飛躍しすぎないようにする、というか。

いちのへ:毎日どういった情報源をチェックされているんですか?
北野:基本的に、日本の新聞は全部読んでいます。といっても、インターネットで見出しをチェックして興味のある記事のみ読むため、それほど時間はかかりません。ロシアの新聞もかなり読みます。ヨーロッパ情報ピラミッド対策としては「ユーロ・ニュース」を見たり、CNNと提携している「РБК(エルベーカー)」というTV局の番組を見たり、ですね。

いちのへ:メルマガ購読者はいったいどんな方が多いのでしょうか?
北野:基本的にメルマガは、配信者にはどんな人が購読しているか分からないようになっているんです。どんな時に分かるかというと、それはお便りを頂いたときです。1日に100通くらいは届きます。

:それは「ロシアの声」と一緒ですね!「ロシアの声」もラジオなので、どういう場所に電波が届き、誰の耳に入っているのか分からないのですが、リスナーの皆様からのお便りで確認しています。北野さんはメルマガのなかでお便りも紹介されていますが、何かお便りをくださる方に特徴はあるんですか?
北野:それが本当に自分でもびっくりするほどにさまざまで。先日もコスタリカからお便りをいただきました。

いちのへ:コスタリカ!?それは北野さんに質問のお手紙、それとも相談のお手紙なんでしょうか?
北野:私がメルマガのなかで「中国はこんなことしますよ」と書いたのに対して「実はコスタリカでもこんなことしています!」というような感想を書いてきてくださったり、ということが多いですね。ほかにもアフリカからのお手紙、南米からのお手紙・・・だいたい全世界にいます。共通点は日本人ということくらいでしょうか。

いちのへ:世界全体が繋がれるというのも、メールマガジンの素敵なところですね。
北野:本当にそうですね。10年前にはあり得なかったことですよね。

いちのへ:本とは違うメルマガの良さはその辺にあるのでしょうか?
北野:やはり本というのは、執筆するまで最低1か月、長ければ半年以上かかってしまいます。でも今の時代、半年前の情報というのは正直ほとんど意味がないですよね。その点メルマガですとタイムリーに、「今、こんなことが起こっています!」という情報を送れますからスピードが違いますよね。

いちのへ:本当ですね。さきほどのカフカス紛争の際にも、日本で報道されるよりも前に、北野さんからのメルマガが届いていましたものね。
:メドヴェージェフ大統領就任のときもそうでした。2通まとめて特大号が配信されてきて、「今後4年はどうなる」というような予測がすぐに配信されてきて驚きました。日本の方にとっては特に、いい情報源なんじゃないかな、と思います。

いちのへ:北野さんはどういった方に、メルマガを読んでもらいたいと思って執筆されているんですか?
北野:今、世界中に読者がいるという話をしましたが、私としては日本国内にいる日本の方にこそ、ぜひ読んでいただきたいと思っています。

いちのへ:それはまた何故ですか?
北野:外国に出ると、特にロシアみたいなワイルドな国に来ると(苦笑)、「世界はまだ戦国時代なんだな」ということが分かると思うんです。たとえば「戦争」という話をしても、新世紀になってからアフガン戦争、イラク戦争、中東ではイスラエルとレバノンの戦争もあり、グルジアの戦争もありました。こうして数えてみると「戦国時代」というのは冗談じゃなく本当の話ですよね。ところが日本にいると「戦争なんて第二次世界大戦以後、一度も起こっていない」かのような錯覚を起こしてしまうんですよね。

:たしかに。「先の戦争」といえば、第二次世界大戦を指しますよね。
北野:60年も前の話ですよ。ですから、日本に住んでいる日本人の方に、「実は世界はまだ戦国時代なんですよ」と意識してもらい、平和ボケを無くしてほしいという願いもあるんです。

いちのへ:ではメルマガを執筆されるうえで、モットーにされているようなことはあるんでしょうか?
北野:2つあります。1番目のモットーは、ワケのわからない世界情勢を世界一わかりやすく解説すること。

:世界情勢って難しいですよね。普段の生活では全く関係のないものにも思えますし、かと思うと原油高のように、ワケの分からない形で影響してきたり。
北野:その通り。誰もが世界情勢を知りたいとは思っても、たいていの本・メルマガを読んでも難しくてワケが分からない。たとえば、私は物理について全く知識がありませんが、物理を知りたいと思い立ったとき、いわゆる“教授が書いたようなもの”は絶対に読まないと思うんです。それじゃどうするのかというと、絶対にアマゾンで検索して「サルでも分かる物理学」みたいな本を読むと思うんです(笑)。つまり私が書く世界情勢メルマガは、初めて読む方にも分かりやすい、いわば“物理初心者にとっての「サルでも分かる物理学」的なもの”になればいいなと思っています。

:それはメルマガを始めたときから決めていたんでしょうか?
北野:うーん・・・最初は決めてなかったですね。続けているうちに、徐々に反応で分かってきたことかな。

:では、コツがつかめたというか、路線が決まったと感じたのはいつでしたか?
北野:世界情勢メルマガとなると、やはりどれも硬派メルマガじゃないですか。メルマガなのに字がぎっしり詰まっていたりして、読んでいて疲れると思うんですよ。だから皆が硬派メルマガなら、私は軟派でいこう、違う風にいこう、と。高校卒業時に皆がアメリカやイギリスに留学したがるなかで、私はソ連に来たのと同じようなことですよね。

:では、2番目のモットーは?
北野:絶対にキレイ事は言わないこと。

:「国は国益で政策を決めている」とか、「世界情勢はお金と軍事力で動いている」とか、北野さんのメルマガによく登場するキーワードですよね。
北野:普通の新聞や雑誌、メルマガでは、たとえばアメリカがイラクを攻撃するときに、「中東を民主化したいのだ」といいますよね。これが私の言うキレイ事です。私のメルマガでは「違うんです、これは金儲けなんです」と言います。たとえばアメリカの準備制度理事会議長グリーンスパン氏が引退後、「イラク戦争は石油が動機だったのだ」と本で暴露してしまったのですが、それを聞いた日本の方は「そうだったのか!石油だったのか!」と思うでしょう。でも、私たちから見ると最初から石油やドル体制の維持、軍産複合体の儲けなどが目的なのは明らかなことなんです。ですから、アメリカがイラクを攻めることに対して、「中東を民主化したいんです」なんて言われると「馬鹿じゃないの?」って(苦笑)。私はメルマガではそんなことは言いません。つまりこれが、2つ目のモットー、キレイ事は言わない、ということです。

いちのへ:ところで、日本のニュースでは、トップニュースとして世界情勢が登場する機会は少ないですよね?
北野:たまに日本に帰国することがありますが、ニュースを見たら、なんと「暖簾切り裂きばばあ」のニュースがトップだったことがありましたよ(苦笑)。
いちのへ:私が帰国したときは「派遣村」や「毒入り餃子」。
:今なら「六本木で脱いじゃった」ニュースとか・・・。
北野:そうそう。「草食系」とかね(苦笑)。世界情勢に関しては全く出てこないので、若者も興味を持てない。これはメディアから変わっていかなければ駄目ですよね。

いちのへ:今後北野さんのメルマガはどのように変わっていくのでしょうか。
北野:基本的には今のままでずっと続けていけたらと思います。まあ、あと100年くらい、138歳になるまでは続けていきたいですね(笑)。

いちのへ:すごい(笑)!目標読者数はどのくらいにしましょう?
北野:最低100万人は達成したいですね。

いちのへ:もしかしたら今、この放送を聴いているリスナーの皆さんのなかにも、「さっそく登録してみようかな」と思っている方もいらっしゃるでしょう。
北野:無料なんで!
:無料です!

いちのへ:どうやって登録したらいいのでしょうか?
北野:この放送を聴き終わりましたら、インターネットの検索サイトで「ロシア政治経済ジャーナル」と入れていただければ、すぐに登録サイト(http://www.mag2.com/m/0000012950.htm)が出てくると思います。メールアドレスのみで特に個人情報等も記入する必要はありませんので、どうぞ気楽な気持ちで登録してみてください。

いちのへ:さて、このメルマガが各方面から注目を集め、御本も出版されましたよね。簡単にご紹介いただいても宜しいでしょうか。

北野:1冊目は「ボロボロになった覇権国家」(風雲社・2005年1月発売)です。当時アメリカは景気が良かったのですが、私はこの本のなかで、「アメリカはもうボロボロだから、近い将来に危機がやって来るだろう」と予測しました。そうしたら2年後にはサブプライムローン問題が起こり、2008年にはリーマンショックなどもあって、アメリカは本当にボロボロになってしまった。この本には今も反響があって、自分でも良い本だと思っています。



いちのへ:2冊目は「中国ロシア同盟がアメリカを滅ぼす日 一極主義vs多極主義」(草思社・2007年9月発売)ですね。
北野:これは、アメリカが旧ソ連諸国でどんどん民主化革命を起こしていったことによって、プーチン大統領(当時)が怒ってしまい、「宿敵だった中国と一体化して、アメリカ幕府を倒してしまえ!」と決心し、このことが今の危機にも繋がっているというような話です。



いちのへ:そして3冊目は、昨年9月に出版された「隷属国家日本の岐路~今度は中国の天領になるのか?~」(ダイヤモンド社)。
北野:今までの2冊は世界情勢を中心に書いていたのですが、この本では「アメリカが衰退していくなかで日本はどういう方向に向かっていくべきか」という、日本を中心とした本になっています。



いちのへ:皆さんぜひ本屋さんで探してみてください!

いちのへ:さてお時間も迫ってまいりましたが、最後に北野さんからリスナーの皆さんにメッセージをお願いします。
北野:モスクワに19年住み、メルマガを10年配信しながら、朝から晩まで世界情勢を見続けてきました。そんな私からリスナーの皆さんにお知らせしたいことは「アメリカの覇権が終わりつつある」ということです。世界史的に見ても、イギリスの覇権が終わったときやソ連が崩壊したときに匹敵するくらいの変革の時代になっています。日本はこの60年間、独立国家とはいいながら、アメリカに保護され、ときに搾取されながら、安心して平和ボケしながら生きていることが出来ました。ところが変革の時代を迎え、その親方たるアメリカが衰退し没落すると、今度は日本人も自分の頭で考えなければならない時代がやって来る、もう来ているのです。今まではアメリカに逆らおうとするといろいろまずいことが起こって出来ませんでしたが、これからは私たち自身が自分の頭で考えて新しい日本を作っていける時代です。ぜひともリスナーの皆さんと一緒に頑張って、新しい日本を作っていけたらと思います。どうも有難うございました。

いちのへ・菅:有難うございました!

   

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