■日本史上最大の英雄・坂本龍馬の生涯を楽しく学べる本とは?
私が、非常に喜んでいることがあります。
福山さんの「龍馬伝」がはじまったこと。
皆さんの中にも「龍馬ファン」が多いと思いますが、私も例外ではありません。
正直いうと、今は幕末以上に変革の時代です。
幕末は「江戸幕府」が倒れ、新しい時代が始まった。
今は、世界の幕府たる「アメリカ」が滅びつつある。
そして、世界は混乱期を経て、新たな時代に突入していくのです。
こんな混乱期は、脱藩浪人・自由人・龍馬のような人物が大きな役割を果たします。
そこで、坂本龍馬の人生を振り返ってみることにしましょう。
■豪商・郷士の生まれ
坂本龍馬は1835年11月15日、高知城下本丁筋1丁目(現在高知市上町1丁目)に生まれました。
幼少時代について、触れておきたいことが二つあります。
1、豪商の息子
龍馬は、高知城下で呉服や酒などを扱う豪商「才谷屋」の次男でした。
そのため、龍馬は他の志士たちと違い、常に「経済」の観点から日本を見ていました。
どんなに理想をいっても、経済のことを忘れた政治は、長つづきしません。
2、郷士の息子
江戸時代は士農工商に身分がわかれていました。
才谷屋は一番下の「商」かと思いきや、身分は「士」なのです。
龍馬の先祖が、「士」の身分を買ったのですね。
ところが、土佐の武士には二つの種類があった。
関ヶ原の戦い以前、四国を支配していたのは長宗我部氏。
長宗我部氏は、この戦いで反徳川の西軍につき破れます。
そして、山内氏がかわって土佐の支配者になった。
あらたな支配者・山内氏の家臣は「上士」と呼ばれ、長宗我部氏の関係者は「郷士」になります。
龍馬は「郷士」の息子だったため、豪商とはいえ「上士」に逆らえない、差別される立場にありました。
それで龍馬は、「経済」「金儲け」を重視する一方、「差別される人々」「社会的弱者」を大切にする視点を持ち合わせていました。
また、彼は「天子(天皇)以外は皆平等」という思想をもっていた。
これは「士農工商」の時代にあっては、トンデモナイ思想だったのです。
こういう「万民平等思想」は彼が郷士の子で、差別される立場にあったことと関係があるのでしょう。
■黒船来航
幼少のころは泣き虫だった龍馬。
しかし、14歳のときから剣道をはじめ、徐々にたくましくなっていきます。
腕前は、メキメキ上達。
1853年3月、江戸へ剣術修行に行くことを許されました。
その3カ月後の1853年6月、ペリーの黒船艦隊が浦賀に来航し、日本は大騒ぎになります。
当時19歳の龍馬は、江戸品川海岸の警備に動員されました。
翌1854年3月、ペリーが再び来航。
圧倒的武力を恐れた幕府は、「日米和親条約」締結に同意。
200年以上つづいた鎖国体制は崩壊にむかいます。
龍馬は、この歴史的事件のときも、江戸にいました。
いまだ体制は強固に見えましたが、異国にあっさり屈した幕府への不満は高まることになります。
この時点で龍馬が何を考えていたかはわかりません。
しかし、「なにかたいへんなことが起こりそうだぞ」ぐらいの予感はあったでしょう。
日本は混迷の時代に突入していきます。
■土佐勤皇党の結成と脱藩
1860年、日本全国を仰天させる事件が起こります。
尊王攘夷派を弾圧した井伊大老が、水戸の浪士に暗殺された。 (桜田門外の変)
この事件は、日本全国の武士たちに、大きな衝撃を与えました。
「一浪士が、幕府の大老を暗殺???」
土佐の郷士は、「おれたちにも何か大きなことができるのではないか?」と夢を描くようになりました。
翌1861年、龍馬の親友・武市半平太を党首とする「土佐勤皇党」が結成されます。 27歳の龍馬も参加しました。
目的は、土佐を「勤皇藩」(=反幕府藩)にしてしまうこと。
しかし、龍馬には半平太の策がどうも「非現実的」に思えてしまうのでした。
理由は、いろいろありましたが、たとえば
・土佐勤皇党のメンバーはほとんど「郷士」である。藩を牛耳っている「上士」が、軽蔑している「郷士」のいうことをきくだろうか?
・藩主の山内氏は、徳川から土佐を与えられた。その山内氏が幕府に反対するようなことをするだろうか?
1862年、土佐勤皇党結成の翌年、龍馬は土佐藩に見切りをつけ脱藩します。 脱藩というのは当時「重罪」。
心の中には、「もう2度と戻れないかもしれない」という思いが渦巻いていたことでしょう。 龍馬28歳。
■勝海舟と神戸海軍塾
脱藩後、龍馬は昔お世話になった江戸・千葉道場に居候することにします。
1862年秋、龍馬の人生を大転換させる出来事が起こりました。
幕府の大物・勝海舟と知り合ったのです。
勝海舟は1860年、ジョン万次郎や福沢諭吉などと共に、咸臨丸でアメリカを視察しています。
そして、幕府の中枢にいたことから、世界情勢にも精通していました。
勝は、アジアの国々が次々と欧米列強の植民地となっている状況を龍馬に話します。
そして、欧米列強に対抗するためには、開国し、貿易により富を蓄積すること。 その上で、どんどん黒船を購入(あるいは生産)し、欧米に対抗できる海軍をつくることが必要だと説きます。
この話は、現実主義者の龍馬の心に強く響きました。
彼は常々、「日本刀で黒船は倒せんぜよ」と思っていた。
しかし、どうすればいいかわからない。
勝海舟は、日本が進むべき道を、明確に示してくれた。
龍馬は迷うことなく、勝の弟子になります。
そして、土佐脱藩組を勧誘し、どんどん勝の弟子にしました。
この行為は当時、半平太を中心とする「尊王攘夷派」から理解されませんでした。 勝海舟はなんといっても、「敵」幕府の大物。
「なんで龍馬は幕府の大物の弟子になってるんだ!?」と非難された。
しかし、「海軍をつくることが日本を守ること」という彼の信念は揺るぎませんでした。
1863年10月、勝は「神戸海軍塾」を設立。
龍馬は「塾頭」に就任します。
それで、彼は「日本海軍の祖」と呼ばれることがある。
土佐の脱藩浪人を塾頭にしてしまう勝海舟。
いかにこだわりのない人物だったかがわかるでしょう。
勝海舟と知り合った龍馬は、飛躍する大きなきっかけを得ました。
・世界情勢を正確に知ることができた
・日本の行くべき道を見つけることができた
・超ハイレベルの人脈ができた
■海援隊と薩長同盟
ようやく夢への一歩を踏み出した龍馬。
しかし、大きな挫折が待っていました。
神戸海軍塾が、設立からわずか2年で閉鎖されてしまうのです。
閉鎖のきっかけとなったのが、1864年の「禁門の変」。
これは、長州の尊王攘夷派と、幕府・会津・薩摩などが京都でたたかった事件です。
長州側、つまり反幕府側に、神戸海軍塾の塾生が多く参加していました。
当然幕府は、「勝海舟の塾は、幕府の金で倒幕兵を養っている」と批判します。
勝海舟は塾の責任者を解任され、塾も閉鎖。(1865年3月)
しかし、「捨てる神いれば、拾う神あり」です。
龍馬は、勝の紹介で、薩摩の大物・西郷隆盛と知り合いになっていました。
龍馬は、西郷を説得し、主に薩摩藩の出資で、日本初の株式会社といわれる亀山社中(後の海援隊)を設立します。
さらに、土佐脱藩・中岡慎太郎と共に、薩摩藩と長州藩を同盟させるべく奔走しました。
1866年1月、龍馬と慎太郎などの努力が実り、薩長同盟成立。
時代は倒幕にむけて大きく前進します。
同年6月、幕府 対 長州 の戦争に参加。
龍馬と社中は、当然長州側の倒幕軍で戦っています。
この戦争で長州が勝利。
幕府の権威は完全に失墜してしまいました。
■大政奉還
さて、長州が戦争に勝利した後、薩摩と長州の力はますます強まっていきました。 倒幕までの道筋も見えてきた。
しかし、この時期龍馬には不安があったのです。
(もし幕府と倒幕軍の全面戦争になれば、日本の国力は疲弊し、イギリスかフランスの植民地になるのではないか?)
龍馬は、「なんとかして全面戦争を回避する方法はないだろうか?」と考えていました。
1867年、龍馬は土佐藩上士・後藤象二郎に「大政奉還案」を進言します。
大政奉還とは要するに、将軍が国の統治権を天皇に返すこと。
1867年10月14日、大政奉還実現。
つまり、徳川将軍みずから幕府をつぶしてしまったわけです。
薩摩と長州は、倒すべき相手がいなくなってしまった。
龍馬らの努力により、日本は全面戦争を回避。
日本が植民地化をまぬがれた大きな理由の一つが、この「大政奉還」であったことは間違いありません。
■船中八策
龍馬が革命家として傑出していたのは、「倒幕後の政体」について明確な方針をもっていたことです。
1867年6月に記された「船中八策」がそれです。 何が書いてあるのでしょうか?
一策 天下ノ政権ヲ朝廷ニ奉還セシメ、政令宜シク朝廷ヨリ出ヅベキ事
(意味=大政奉還します)
二策 上下議政局ヲ設ケ、議員ヲ置キテ万機ヲ参賛セシメ、万機宜シク公議ニ決スベキ事
(意味=議会政治を行います)
三策 有材ノ公卿諸侯及天下ノ人材ヲ顧問ニ備ヘ、官爵ヲ賜ヒ、宜シク従来有名無実ノ、官ヲ除クベキ事
(意味=身分にかかわらず、実力主義にします)
四策 外国ノ交際広ク公議ヲ採リ、新ニ至当ノ規約ヲ立ツベキ事
(意味=外国との交流を進めます。不平等条約を改定します)
五策 古来ノ律令ヲ折衷シ、新ニ無窮ノ大典ヲ撰定スベキ事
(意味=新しい憲法を制定します)
六策 海軍宜シク拡張スベキ事
(意味=海軍力を増強します)
七策 御親兵ヲ置キ、帝都ヲ守護セシムベキ事
(意味=御親兵を設置します)
八策 金銀物貨宜シク外国ト平均ノ法ヲ設クベキ事
(意味=金銀の交換レートを変更します)
それまで260年間江戸幕府の独裁であったことを考えると、船中八策がどれだけ斬新だったかわかるでしょう。
この八策は、明治新政府に引き継がれ、日本が近代国家・世界の大国になる道が開かれました。
■龍馬がみた夢
坂本龍馬は、大政奉還が実現した約1カ月後の11月15日に暗殺されました。
・海軍塾の設立
・日本初の株式会社
・亀山社中(=海援隊)の設立
・薩長同盟
・大政奉還
・船中八策
と、数々の歴史的偉業を成し遂げた龍馬。
しかも、これだけの大事業を成し遂げた期間は、脱藩した1862年から1867年の、わずか6年間。
まさに奇跡的な人物だったということができるでしょう。
そんな龍馬は、一体なにを目指していたのでしょうか?
1、日本の独立
龍馬はまず、幕臣・勝海舟と共に「海軍塾」を設立します。
日本が植民地にならないためには、「強力な海軍が必要」と考えたからです。
その後、倒幕のために薩長同盟を成立させた。
しかし、倒幕戦の準備が本格化すると、今度は「大政奉還」を実現させ、大規模な内戦を回避しました。
幕府にいったり、薩長にいったり、立場がころころ変わるようにみえます。
とはいえ、よくよく観察してみると、龍馬が常に「日本の独立を守るため」に行動していたことが理解できるでしょう。
2、自由で平等な民主国家
八策をみると、「憲法制定」「議会設置」と、彼が明確に「民主国家」を目指していたことがわかります。
さらに、身分制度を廃し、すべての人が平等で、また自由に才能を活かせる国家をつくりたかったことがわかります。
私たちは、龍馬をはじめとする維新の志士たちのおかげで、自由・平等な民主国家に生まれることができたのですね。
■世界の海援隊 〜 私利私欲をこえて
龍馬は常々「人は“利”によって動く」といっていました。 そして、この人間心理を倒幕運動にも利用しています。
たとえば龍馬は、「倒幕を実現するためには、薩摩と長州を和解させなければ」と考えました。
しかし、薩摩と長州は、何度も戦っているので非常に仲が悪い。
龍馬はどうしたか。
幕府との戦に備える長州は、武器を購入することができませんでした。
そこで龍馬は、亀山社中を使い、薩摩名義で武器を購入し、長州を救ったのです。
さらに、米の不作で困っていた薩摩に、その年豊作だった長州の米を与えています。
こうして、薩摩と長州の利害を一致させることで、両藩の感情をやわらげていったのです。
しかし、「人は利によって動く」といった龍馬自身は、「私利私欲」で動くことがありませんでした。
証拠があります。
大政奉還が成り、次は「新政府の人事」を検討する段階になりました。
龍馬は西郷に、新政府人事案を提出します。
役職は、関白・議奏・参議。
関白は、公家の三条実美。
議奏は、主に各藩の殿様や公家
参議には薩長土などから、革命に貢献した人々の名が記されていました。
龍馬が私利私欲・自己の富貴を求めていたのなら、当然新政府の中枢に「自己推薦」したことでしょう。
そして、誰も龍馬が新政府の高官になることに反対しなかったはずです。 しかし・・・・・・・。
案を渡された西郷は、表を読み、それを薩摩の同士・小松帯刀、大久保一蔵(後の利通)にわたします。
彼らが読んだ後、もう一度じっくり見てみました。
(・・・・・・・龍馬の名前がない)
古来から、革命最大の功労者が、新政府樹立後、その中枢に入らなかったことがあるでしょうか?
西郷はたずねます。
「この表を拝見すると、当然土州(土佐)から出る尊兄(龍馬)の名がみあたらんが、どぎゃんしもしたかの?」
龍馬は答えます。
「わしぁ、出ませんぜ。あれは、きらいでな」
西郷が「なにが?」ときくと、龍馬は、
「窮屈な役人がさ」
西郷は「窮屈な役人にならずに、お前さぁは何ばしなはる」とさらにききます。
龍馬は身を起こし、同席していたすべての人が忘れられない言葉をいいます。
「世界の海援隊でもやりましょうかな」
■龍馬の生まれ変わりが日本を救う
龍馬の生涯を見てきましたが、彼が今生きていたら、どんな活動をしているのでしょうか?
ところで、「坂本龍馬の生まれ変わりがいるらしい」という情報がはいってきました。
私は誰が龍馬の生まれ変わりなのか知っていますが、ここでは内緒にしておきましょう。
「・・・おい!そこでやめるな!」
・・・そうですか。
そんなにおっしゃるのなら、教えてしまいましょうか。
しかし、トップシークレットなので、他言はしないでくださいね。
日本を救う坂本龍馬の生まれ変わりとは・・・? ↓
あなたです!(^▽^)
「おれが龍馬の生まれ変わりである自覚はあるが、日本をどう救えばいいかわからない」という方は、いますぐこの情報をゲットしてください。 ↓
(→http://tinyurl.com/6zcszc)
日本の行くべき道がはっきりすっきり理解できます。
日本史上最大の英雄・坂本龍馬のことをより深く知りたい方は、こちらをご一読ください。
1、お〜い竜馬(マンガ)
(→http://tinyurl.com/yeos5tl)
↑
日本一の龍馬通、武田鉄矢さん原作の漫画です。
私も子供のころ超はまりました。
子どもから大人まで、読み始めたら止まらなくなります。
国を愛する立派な子どもを育てたいお父さん・お母さん。
ぜひお子さんの誕生日に、プレゼントしてあげてください。
2、竜馬がゆく 司馬遼太郎
(→http://tinyurl.com/y98vgoy)
いうまでもなく、司馬遼太郎さんの最高傑作。
読み始めたら止まらなくなりますから、迷わず全巻ゲットされることをお勧めします。
断言しますが、あなたが経営者でもビジネスマンでも、必ず家宝になる本です。